Gontaの模型趣味 1/72スケール AFVモデル
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オペルブリッツ トラック画像01 オペルブリッツ トラック画像02
オペルブリッツ トラック画像03


ドイツ オペル・ブリッツ


第二次世界大戦前の1940年、オペル社はナチス・ドイツ政府の管理下に置かれる。
オペルは第二次世界大戦中、ドイツ国内で多数のトラック製造を行っており、特に使いやすいクラスであるブリッツは、ナチス・ドイツの武装親衛隊、国防軍が軍用トラックとして使用した。

大戦中に総計で100000台を超える生産が行われた、ドイツを代表する軍用トラックであった。

駆動方式は通常の後輪駆動であったが、耐久性が高かったため、第二次世界大戦中にドイツの占領下にあったフランスをはじめ、北アフリカ戦線、ソビエト連邦への戦線での物資と兵士輸送用として運用された。

戦後も同社トラックの車名として長年用いられた伝統の愛称であったが、1975年で生産を終了した。

            

 


ドイツ タイガーT型戦車 後期型

ドイツ軍はソビエト中戦車T34/76、重戦車KV-1Aに対抗する重戦車の開発を行なうことになった。

1941年ヒトラーの命令で国防軍はヘンシェル社とポルシェ社の2社に対し新型戦車の開発を指令した。

両社ともクルップ社の開発した高射砲、Flak18を流用した88mm戦車砲36型を使用し馬蹄型砲塔を搭載した試作型が作られ、試作型はそれぞれVK4501(P)、VK4501(H)と呼ばれた。

1942年4月にヒトラーの面前で試験競技がおこなわれ、ヘンシェル案に採用生産命令が下りました。これはSd.Kfz181の制式武器番号が与えられY号重戦車タイガーIEとして制式化された。

タイガーT型は1942年7月から本格的に量産が始まり、1944年8月に後継であるキングタイガーに完全に切り替わリタイガーTの生産が中止になるまでに1,346輌が製作された。

(タイガーT 後期タイプ データ)
乗員:5名、全長:8.45m、全高:3.0m、全幅:3.56m、主砲:88mm戦車砲36型、エンジン:マイバッハHL-230P45(700馬力)、最大速度:37.8km/h

ドイツ戦車のデザインを踏襲しつつも、重厚な装甲とともに56口径88ミリ砲という高射砲を元にした強力な砲を採用し、対戦車・対陣地戦闘に威力を発揮した。

接地圧の低下のために設計された幅の広い履帯を装備したまま貨車に乗せると、トンネルを通過することができないため、鉄道での輸送時は一番外側の転輪と外側から二番目の転輪及びフェンダーを外し、輸送用のために設計・製造された幅の狭い履帯を装備することとなった。
また転輪は当初は外周にゴムタイヤが付いていたが、後期型(およびII型)ではソ連戦車のものを参考にしたゴム内蔵式の鋼鉄製転輪が使用された。これは鉄の部分が直接履帯に当たるため音が煩くなるが、ゴム部品の消耗を抑えることができた。

            

 
 アメリカ M26パーシング

第二次世界大戦末期、タイガーIなどの強力なドイツ軍重戦車と対等に戦える初のアメリカ軍戦車として登場したのがM26パーシングです。
長砲身90mm砲と優れた機動性能を備えるパーシングは1945年2月からヨーロッパ戦線に送られドイツ本国への侵攻作戦に出動。1945年5月のドイツ降伏までに約200輌が部隊配備され、タイガーIやIV号戦車、パンターとも砲火を交えました。そして1950年6月に勃発した朝鮮戦争にも投入され、北朝鮮軍のT35/85戦車を圧倒する強さを見せたのです。

               
ドイツ W号戦車 G型

F2型が改称されたもの。主砲は生産開始から1943年3月までは43口径だったが、H型生産開始と同時期の4月から、より砲身長の長い7.5cm Kw.K.40 L/48に変更され、更なる火力の強化が図られた。
他にも砲塔側面や前面右側のクラッペ(視察口)が廃止されるなど生産途中に何度も改良が加えられている。
1942年5月から一部車輌で車体前面に30 mm 増加装甲の溶接を始め、翌年4月からボルト留めによる装着に変更し、これは12月から全車に装着されるようになった。
5月には右フェンダー上にエアフィルターを設置するなど、最後期型は併行生産されていたH初期型と酷似した外見となった。

               
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 ソビエト T34/76戦車 1943年型

連戦連勝のドイツ軍を撃破し、歴史を変えた傑作戦車T-34。
砲塔を大型化して戦闘能力を高めたT-34/76の1943年型です。
六角形の砲塔やタイヤ付きホイールに代わって採用されたスチール・ホイールなどが特徴。


              
  
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タイガーT初期型画像03
ドイツ タイガーT型戦車 初期型


タイガーIの生産は1942年8月より月産12台の割合で始まった。
しかしヒットラーの主張により1942年11月迄には月産25台にまで引き上げられた。
この増産計画は益々促進され1944年4月には月産104台となり1944年8月迄にプロトタイプまで含めて総計1355台が生産された。

当初より、タイガーI型の大きさと重量は河を渡るときの困難が予想された。
ドイツ国内に於いてすらその重量に耐えるような橋は数多くはなかったからである。
従ってその基本設計には深さ4m迄の水深の河の底を潜水して渡河出来ることが必要条件となっていた。
潜水の為の防水装置は砲塔をはじめ、全てのハッチやベンチレーターにほどこされ、水面下においてのエンジンの冷却装置も考慮された。
そして水中においての空気の取り入れは車体後部のエンジン上部にある折りたたみ式の太い円筒を使用したシュノーケル装置が取りつけられた。


              
  
メルセデス ベンツ G4型 ドイツ メルセデス ベンツ G4型

1934年-1939年。
1936年までは直8気筒5018cc 100hp。
11台作られすべてドイツ軍に納入された。
1937年からは排気量が5252cc 115hpになり、このエンジンで1937年と1938年に16台製造。
その後 1938年は、排気量が5401cc 110hpになり1939年までに30台製造。
合計で57台生産、現在はそのうち4台が残っている。


ドイツの「お殿様」の愛用者だったようです。
 
メルセデス ベンツ G4型
  
パックワーゲン ドイツ Sd.Kfz 251/22 D型 "パックワーゲン"

Sd.Kfz. 251とは、ハノマーク社が3t 半装軌車 (Sd.kfz. 11) をベースに、戦車部隊に歩兵を追随させるために1937年から開発を開始した中型装甲兵員輸送車の制式番号を指す。
この制式番号がドイツの装甲兵員輸送車の代名詞となった。

22型:7.5cm対戦車砲 Pak40搭載型。
 
装甲兵員輸送車  ドイツ Sd.Kfz 251/1 D型 装甲兵員輸送車

Sd.Kfz. 251 とは、ハノマーク社が 3t 半装軌車 (Sd.kfz. 11) をベースに、戦車部隊に歩兵を追随させるために1937年から開発を開始した中型装甲兵員輸送車の制式番号を指す。
この制式番号がドイツの装甲兵員輸送車の代名詞となった。

1型:基本形となる装甲兵員輸送車であり、兵員10名を運搬可能。
重機関銃型、ロケットランチャー搭載型、赤外線暗視装置装備型(ファルケ)も存在する。

 
 シュツンメル ドイツ Sd.Kfz 251/9 "シュツンメル"

Sd.Kfz. 251 とは、ハノマーク社が3t 半装軌車 (Sd.kfz. 11) をベースに、戦車部隊に歩兵を追随させるために1937年から開発を開始した中型装甲兵員輸送車の制式番号を指す。
この制式番号がドイツの装甲兵員輸送車の代名詞となった。

9型:24口径7.5cm砲搭載支援車輌。
搭載方法により前期型と後期型がある。

 
 ハーフトラック アメリカ ハーフトラック M3A1 パーソナルキャリア

兵員を安全且つ着実に戦場に届けるという手段は着実に開発されており、1920年代から1930年代にかけてはトラックよりも不整地踏破能力の高い半装軌式トラックの研究、次いで1935年にはアメリカのハーフトラックシステムの始祖となる「T9 半装軌式トラック」が作られました

中学時代に作成したもの。
大事に保管していたつもりですが、ライト・ウィンチが破損、紛失しています。
今回、塗装をし直しアメリカっぽくしました。
 
  
 キューベルワーゲン  キューベルワーゲン
 キューベルワーゲン

ドイツ キューベルワーゲン

第二次世界大戦中にドイツで生産された小型軍用車両である。
フェルディナント・ポルシェらにより設計された。

 
  
 W号突撃砲  W号突撃砲
 W号突撃砲

ドイツ W号突撃砲

1943年11月、空襲により突撃砲を生産していたアルケット社の工場が破壊され、その代用としてIV号戦車の車台をベースに突撃砲の上部構造を取り付けたIV号突撃砲が開発された。
IV号戦車シャーシの方が長いため操縦手席は前方に突出し、専用の乗降ハッチとペリスコープが設置された。
本車は1943年末から30輌がダイムラー・ベンツ社のマリーエンフェルデ工場で、続いてクルップ・グルゾンヴェルク社により1945年4月までに1111輌が生産された。

 
ダンプトラック アメリカ GMC CCKW 353 ダンプトラック 
 

米軍のワークホースと言われたCCKW-353カーゴトラックより改造されたこのダンプトラックは、アメリカ陸軍工兵隊のために設計されたものです。
このダンプトラックはカーゴトラックと外形的には大きな変化はなく、最大積載重量が2.7トンから2.9トンと約0.2トン増大したのみで工兵隊ではダンプトラックとカーゴトラックとの使いわけは特にしなかったようですが、飛行場設営のような任務ではその性能をいかんなく発揮し、大いに重宝がられました。
このトラックとブルドーザーの出現でアメリカ陸軍工兵隊の設営能力は飛躍的に向上し、ガダルカナルなどで日本軍が1ヶ月かかっても整備できなかった飛行場をわずか一週間で整備して、日本軍を唖然とさせたことも何度かありました。

(GMC CCKW-353 ダンプカー データ)

全長:6.86m エンジン:直列6気筒4,417c.c.104馬力/3,000回転 積載重量:2.9トン ウインチ牽引重量:2.04トン

ダンプトラック
兵員輸送車
アメリカ G.M.C CCKW-353 兵員輸送車

GMC CCKW-353カーゴトラックは、同系の車両すべて合わせて80万台も生産され、第2次大戦のあらゆる戦場で使用され、米軍のダークホースと呼ばれ朝鮮戦争まで正式車両として活躍しました。
このトラックは、兵員輸送の場合には10〜12名の完全武装兵を乗せて50〜60km/hで移動でき、また物資輸送の場合には2.7トンの物資を輸送できる能力をもっています。
背中のホロは5本の小骨でささえられていて、取りはずし式になっています。
また兵員輸送用のベンチも折りたたみ式で、必要な時以外はたたんでいます。

(G.M.C CCKW-353 兵員輸送車 データ)

全長:6.86m 全幅:2.23m エンジン:直列6気筒4,417C.C. 104馬力/3000回転 最高速度:72km/h

 
兵員輸送車
  
W号駆逐戦車ラング1 ドイツ IV号駆逐戦車ラング


第二次大戦末期の1944年春に登場し、待ち伏せ攻撃に猛威を振るったドイツ軍IV号駆逐戦車ラング。
実車で車高がわずか1.86mという低いシルエット、重戦車も一撃で破壊する強力な長砲身70口径75mm砲を備えていた。
W号駆逐戦車ラング2
M3スチュアート戦車1 アメリカ 軽戦車 M3 スチュアート

第二次大戦初期から各地で使用されたアメリカの軽戦車(イギリスやオーストラリアにも貸与されていた)である。
ちなみにM3と呼ばれる戦車には、リー、グラントといった中戦車タイプもある。
重量12.7トン、装甲38mm、主砲は37mmと小ぶりの戦車であるが、最高速度60km/hという高速を生かして偵察や敵陣地に対する攻撃などに活躍した。
軽戦車であるため対戦車戦闘にはあまり向いていないように思われるが、太平洋戦線では日本軍の戦車が貧弱であったため、九五式軽戦車や九七式中戦車との戦闘では大いに活躍した。 
M3スチュアート戦車2
  
M3リー2  M3リー3
M3リー1 アメリカ M3リー戦車

ヨーロッパの戦火の拡大からアメリカ軍の装甲戦闘車両にも旋回砲塔に 75mm砲装備の強力な戦車が必要になりました。 (当初、参考にしたのは、四号戦車短砲身の支援用75mm砲でした。) しかし、開発には時間がかかりそのための暫定的な措置としてM2中戦車の 右側に限定射界の75mm砲を装備した戦車を緊急生産することになりました。
1942年にはアフリカに送られM3戦車は圧倒的な 印象をあたえ戦車隊の主力として活躍しました。
1942年5月のガザラでは167両 1942年10月のエル・アラメインでは600両(リー戦車?) のちに主力がシャーマン戦車になるとこの戦車たちはビルマ戦線に 送られました。
ビルマに出現して日本軍を踏み潰した機械化部隊の戦車は、 ヨーロッパでは使われなくなったこのお下がりの戦車だったとは・・・ 情けない話です。
SdKfz234プーマ2 ドイツ Sd.Kfz.234/2 プーマ
「5cmKwK39/1L/60戦車砲」搭載型


「ポーランド戦」「フランス電撃戦」において8輪装甲車「Sd.Kfz.231」シリーズの活躍に注目したドイツ兵器局は、これに代わる新型8輪装甲機動車の開発を行いました。

「231」とは異なるARKシャーシにモノコック構造の車体、ひとまわり大きなタイヤを装備した「Sd.Kfz.234」がこれにあたり、シリーズ最初の量産型である「Sd.Kfz.234/2」は「5cmKwK39/1 L/60戦車砲」を搭載し、約101両が生産されました。

試作軽戦車「レオパルド」用の砲を搭載したため「プーマ」と呼称されていますが、これは正式な名称ではありません。

本来ソ連戦車にも対抗できるよう搭載した「5cm砲」でしたが、この車両が登場した1943年後半の東部戦線では威力不足であり、対戦車戦では十分な活躍はできませんでした。

しかし、偵察装甲車の役割のひとつである威力偵察には十分な能力を持ち、ディーゼルエンジン故の1,000Kmにも及ぶ長大な航続力により、東部・西部戦線では大いに活躍をしたのです。
 
SdKfz234プーマ1
  
4号戦車  ドイツ IV号戦車H型

第二次大戦のほぼ全期間を通してドイツ軍の主力戦車として戦い抜いたIV号戦車。その中でも最も多く生産され、完成度の高さからIV号戦車の最良タイプとも言われたH型。
威力を増した48口径75mm砲をはじめとして、車体側面や砲塔を囲むように装備されたシュルツェンなど激しい戦いの中で鍛え抜かれた感じを出しました。
 


500円玉を脇に置いてみました。
模型の大きさが判るかな?
 
18トンFAMO−1  ドイツ 18トン重ハーフトラック・FAMO(ファモ)

第二次大戦中に使用されたドイツ軍最大のハーフトラックが18トン重ハーフトラック・FAMOです。
戦車の回収、そして21センチ榴弾砲などの重火砲、22/23トン・トレーラーの牽引用に開発され、兵員の輸送にも使用されました。中でも最もその威力を発揮したのが戦車回収車として使用された場合で、III号、IV号戦車なら1輌で、タイガーI型重戦車の場合は3輌以上を連結して牽引、ドイツ軍戦車部隊にとってなくてはならない重要な支援車輌となったのです。


500円玉を脇に置いてみました。
模型の大きさが判るかな?  ↓
18トンFAMO−2
マークT

マークW戦車

イギリスが開発した世界初の戦車。巨大な28トンの菱形の車体(その形状からシリーズ通して菱形戦車とも呼ばれる)に海軍の6ポンド(57mm)砲を左右に1基ずつ取り付けていた。速度は鈍重(9.5km/h(23km/hBeat))であり、頻繁に故障もしたが、小銃を撃っても跳ね返されるし、当時の大砲には対戦車射撃に向いた直接照準と速射能力の両方を有したものが無く、また壕などの障害物を造っても乗り越えてくるといった無敵な状況であり、1916(大正5)年9月15日に登場して以来、ドイツ軍の恐怖のマトであった。

マークIで自信をつけたイギリス軍はその後マークIV、Vといった改良型を登場させている。

ドイツに鹵獲された戦車として作成。
  
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