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駆逐艦「秋月(あきつき)」後期型
秋月型駆逐艦(あきづきかたくちくかん)とは、太平洋戦争中、日本海軍が対空戦闘用に建造した駆逐艦である。
(書類上の分類は乙型駆逐艦)。
第四次海軍軍備補充計画(マル4計画)で6隻、戦時補充計画(マル
急計画)で10隻、第五次補充計画(マル5計画)で16隻(後に改マル
5計画で23隻に増強)の合計39隻の建造が計画され、内12隻が
竣工(1隻未成)している。
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駆逐艦「秋月(あきつき)」初期型
秋月型駆逐艦(あきづきかたくちくかん)とは、太平洋戦争中、日本海軍が対空戦闘用に建造した駆逐艦である。
(書類上の分類は乙型駆逐艦)。
第四次海軍軍備補充計画(マル4計画)で6隻、戦時補充計画(マル
急計画)で10隻、第五次補充計画(マル5計画)で16隻(後に改マル
5計画で23隻に増強)の合計39隻の建造が計画され、内12隻が
竣工(1隻未成)している。
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駆逐艦「舞風(まいかぜ)」
舞風(まいかぜ/まひかぜ)は日本海軍の駆逐艦、陽炎型駆逐艦の
第18番艦である。
1944年トラック諸島沖で米軍艦隊の砲撃によって戦没した。
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駆逐艦「初春(はつはる)」
特型駆逐艦(吹雪型)の次の主力駆逐艦として計画されたが、
過度の重武装と軽量化により、復元性や船体強度に問題を生じ、
建造は6隻で中止された
「初春」と二番艦「子日」の竣工直後、海軍を痛撃する友鶴事件が
発生する。
検討の結果、船体に取り付けたバルジをはずし、喫水を深くし
重心を下げる等、本型は直ちに設計の変更が施されることとなる。
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駆逐艦「霞(かすみ)」
朝潮型の9番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては暁型駆逐艦「霞」に続いて2隻目。
浦賀船渠で1936年(昭和11年)12月に起工、1939年(昭和14年)6月に竣工し、同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。
太平洋戦争開戦時には、同型艦「霰」、陽炎型の「陽炎」、「不知火」と共に第18駆逐隊に属し、機動部隊の警戒隊として行動した。
1941年(昭和16年)11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加。
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駆逐艦「有明(ありあけ)」
初春型の5番艦(改初春型1番艦)である。
この名を持つ日本海軍の艦船としては春雨型駆逐艦「有明」に続いて2隻目。
神戸川崎造船所で1933年(昭和8年)1月14日に起工した。
建造初期の段階で同型艦「初春」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦と同型艦「夕暮」は「改初春型」とも呼ばれる。
1935年(昭和10年)3月25日に竣工した。
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駆逐艦「吹雪(ふぶき)」
重武装(砲塔式12.7cm連装砲3基と61センチ3連装魚雷発射管を中心に配備し9本の予備魚雷も搭載した)で凌波性に優れた本型の出現は、当時の列強海軍に衝撃をあたえた。
特型駆逐艦吹雪型のネームシップで、この名を持つ日本海軍の艦艇としては2隻目である(初代は春雨型駆逐艦の「吹雪」)。
第四艦隊事件で艦体強度が問題となり改装されている。
舞鶴工作部で建造され1928年(昭和3年)8月10日に竣工した。
建造中は、「第三十五号駆逐艦」という名称で、8月1日に「吹雪」と改称された。
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駆逐艦「磯風(いそかぜ)」
陽炎型駆逐艦の12番艦。
真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など、太平洋戦争中の大きな海戦に全て参加。
大和、武蔵、信濃、金剛、大鳳、蒼龍といった連合艦隊主要艦艇の沈没に立ち会っている。
1945年、坊ノ岬沖海戦で戦没。
艦名は初代「磯風」(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。
仮称第28号艦として佐世保海軍工廠で1938年(昭和13年)11月25日起工、1939年(昭和14年)6月19日進水、1940年(昭和15年)11月30日に竣工、呉鎮守府籍。
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駆逐艦「涼月(すずつき)」
秋月型駆逐艦の3番艦である。艦名は「さわやかに澄みきった秋の月」を指す言葉であろうと言われる。
1944年に魚雷により艦首を亡失した後、新造した艦首と艦橋を接合したが、この際に新造部分は原型の丸みを帯びた形状とは異なる直線的な形状となった。
特に角ばったその艦橋は、就役した秋月型・冬月型・満月型で他に持つ艦がなく、未成に終わった清月以降の設計図によるものと考察されているが、晩年の涼月の外見上の大きな特徴となっている。
1941年(昭和16年)3月15日に三菱重工業長崎造船所で起工、1942年(昭和17年)3月4日に進水。同年12月29日に竣工した。
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駆逐艦「綾波(あやなみ)」
特型駆逐艦(吹雪型)の11番艦。
その名を持つ艦としては神風型駆逐艦 (初代)「綾波」に続いて2隻目。
特型駆逐艦の11番艦であるが、実質吹雪型の改良艦となっており"特型II型駆逐艦(綾波型)"という分類に属する一番艦である。
吹雪型(I型)との違いは主に煙突の形状の違いや、主砲のタイプの違いである。
大阪の藤永田造船所で1928年(昭和3年)1月20日に起工、1930年4月30日に竣工した。
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駆逐艦「天津風(あまつかぜ)」
陽炎型駆逐艦の9番艦である。
1945年4月アモイで座礁、自沈した。
艦名は初代天津風(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。
舞鶴海軍工廠で1939年2月14日起工、1939年10月19日進水、1940年10月26日に竣工、呉鎮守府籍。
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駆逐艦「浜風(はまかぜ)」
浜風(はまかぜ)は、陽炎型の13番艦である。
「武蔵」「金剛」「信濃」の沈没に立ち会い、自身も1945年坊ノ岬沖海戦で「大和」と共に戦没した。
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駆逐艦「島風(しまかぜ)」
島風(しまかぜ)は、1941年(昭和16年)に起工した大日本帝国海軍の一等駆逐艦である。
島風型駆逐艦は次世代の艦隊型駆逐艦として、16隻の建造が決定していた高速で重雷装の艦隊型駆逐艦であったが、太平洋戦争開戦による戦術の変更や、水雷戦自体の可能性の低さ、手間のかかる生産から計画は放棄され、丁型(松型駆逐艦)へと移行し、島風1隻のみとなった。
書類上の分類は丙型駆逐艦。 |
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駆逐艦「冬月(ふゆつき)」
秋月型駆逐艦(あきづきかたくちくかん)とは、太平洋戦争中、日本海軍が対空戦闘用に建造した駆逐艦である(書類上の分類は乙型駆逐艦)。
第四次海軍軍備補充計画(マル4計画)で6隻、戦時補充計画(マル急計画)で10隻、第五次補充計画(マル5計画)で16隻(後に改マル5計画で23隻に増強)の合計39隻の建造が計画され、内12隻が竣工(1隻未成)している。
秋月型は、駆逐艦島風を除けば戦前の計画で建造され終戦まで活躍した最後の駆逐艦である。
海軍部内では月型と呼ばれた。 |
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駆逐艦「初霜(はつしも)」
初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。
初春型の4番艦である。
この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31日に起工した。
建造途中で同型艦「初春」の復元性能不良が判明し、改善工事を施して1934年(昭和9年)9月27日竣工した。 |
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駆逐艦「白露(しらつゆ)」
白露(しらつゆ)は、日本海軍の駆逐艦。
白露型の1番艦である。
この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
佐世保工廠で1933年(昭和8年)11月14日に起工した。
「初春型駆逐艦」は、当初12隻が建造される予定であったが、復元性能不良が判明し、新たに設計がなされたのが白露型である。
1936年(昭和11年)9月7日に竣工した。 |
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駆逐艦「桜(さくら)」
桜(櫻、さくら)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。
松型の13番艦である。日本海軍の艦名としては2代目。
1944年(昭和19年) - 一等駆逐艦5496号として計画。 |
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駆逐艦「松(まつ)」
松(まつ)は大日本帝国海軍の駆逐艦、松型(丁型)の1番艦。
日本海軍の艦名としては2代目である。
丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で建造。
1943年(昭和18年)8月8日起工。
1944年(昭和19年)4月28日竣工。
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された。 |
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駆逐艦「橘(たちばな)」
仮称5511号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1番艦として横須賀海軍工廠で建造された。
1945年1月20日竣工
竣工後は内海で訓練の後、呉から大湊へ回航、津軽海峡で対潜警戒に従事した。
小樽、秋田間の船団護衛に参加していたが7月14日、函館湾で米空母機の爆撃を受け船体が切断され沈没、156名が戦死した。
8月10日除籍。 |
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駆逐艦「樅(もみ)」
松型(丁型)の9番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「樅型」1番艦)。
丁型一等駆逐艦第5489号艦として横須賀工廠で建造され、横須賀鎮守府籍となる。
竣工後、第11水雷戦隊に編入され就役訓練を実施。
1944年(昭和19年)12月4日、「生田丸」を護衛して「檜」とともにマニラに入港。
1945年(昭和20年)1月5日、「生田丸」を護衛して「檜」とともにマニラを出港し、仏印サン・ジャックへ航行中、マニラ南西沖でアメリカ海軍第77任務部隊の航空母艦艦載機の空襲を受け戦没。
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駆逐艦「若竹」
1922年(大正11年)9月30日、川崎造船所で竣工。
当初名は第二駆逐艦。
1928年(昭和3年)8月1日、若竹と改名。
駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。
1944年(昭和19年)3月30日、パラオ湾口にて航空機の攻撃により戦没。 |
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2等輸送艦(上段)
1等輸送艦(下段)
太平洋戦争後期、最前線への強行輸送任務を目的として計画された1等輸送艦、そして上陸作戦用の戦車揚陸艦として計画されたのが2等輸送艦である。
船体後部がスロープになった1等輸送艦には、甲標的と呼ばれた2隻の特殊潜航艇、あるいは5隻の運貨船を搭載可能。
そして2等輸送艦には97式中戦車や水陸両用戦車等の輸送・揚陸が可能であった。 |
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「第1号型哨戒特務艇」・「駆潜艇」
太平洋戦争時、日本海軍は小型木造漁船を大量に徴用し特設哨戒艇として洋上監視任務に就かせたが、被害も多かった。
そのため新造船建造に迫られ、鋼材の不足もあり木造漁船形式の哨戒艇とした。
1944年(昭和19年)より国内の有力木造造船所で船体を建造、兵装は横須賀工廠などの各海軍工廠で艤装することで量産に入った。
計画では200隻建造の予定だったが終戦までに起工したものは57隻、そのうち竣工したものは27隻、船体のみ完成状態のものが10隻に過ぎなかった。
建造の遅れは木材の供給が不足していたためと言われる。
十分に寝かせた木材を使用しなかったために竣工後に木材の間に隙間が空いて浸水したり、また虫害にあうなど悩まされたという。
1945年(昭和20年)に入り戦局が更に悪化したため残りの建造は中止となり、海防艇(乙)の建造に切り替わった。
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