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アメリカ航空母艦 「Saratoga」
サラトガ(USS Saratoga, CV-3)は、アメリカ海軍の航空母艦。
レキシントン級航空母艦の2番艦。アメリカ海軍においてサラトガの名を受け継いだ艦としては5隻目にあたる。
「シスター・サラ」の愛称で呼ばれていた。
太平洋戦争の開戦時から参加して生き残った航空母艦3隻のうちの1隻で、サラトガは7個の従軍星章を授与され、1946年に海軍籍から除籍された。
それまでの17年間で98,549機の航空機がサラトガに降り、最大の空母着艦記録を保持している。
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アメリカ航空母艦 「Essex」
エセックス級空母は、ヨークタウン級に比べ全長で60フィート以上長く、全幅は10フィート以上大きくなり、重量は1.3倍近くなった。
本級は、ヨークタウン級の発展拡張型と言える。
より長く、より広くなった飛行甲板と甲板端部に設置されたエレベーターはより効率的な航空団の運用ができ、攻撃力と防御力を共に拡大した。
設備配置と装甲防御は以前のものから長足の進歩を遂げて優れたダメージコントロールを発揮し、加えて優秀な対空レーダーとVT信管を使用した高角砲の増備でその生存性が非常に高まった。
実際、エセックス級で戦没した艦は無く、フランクリン (USS Franklin, CV-13) およびバンカーヒル (USS Bunker Hill, CV-17)
は、他国の空母なら沈没が必至とされる程の大きな損害を受けながらも帰還することができた。
なお、完成した全艦が終戦まで生き残り、以後冷戦期間中にジェット機対応化や、アングルド・デッキ、エンクローズドバウの付加など、近代改修を受け、第一線から退いた後も、対潜空母や強襲揚陸艦に艦籍変更されて長期間使用された。
最も長期に渡って運用されたのは、レキシントンであり、練習空母として運用されていたが、1991年に退役した。
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アメリカ戦艦「アラバマ」
サウスダコタ級戦艦の4番艦。
アラバマは1940年2月1日にノーフォーク海軍工廠で起工し、1942年2月16日にリスター・ヒル夫人(アラバマ州選出上院議員J・リスター・ヒルの妻)によって命名、進水し、1942年8月16日に初代艦長ジョージ・B・ウィルソン大佐の指揮下就役した。
アラバマ州民はアラバマを記念艦として保存するため「USSアラバマ戦艦委員会」を組織し、その資金を調達した。アラバマは1964年6月16日に引き渡され、1964年7月7日にシアトルで記念式典が開催された。
1964年9月14日にモービル湾に牽引され、永久展示されている。
1986年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
アラバマは第二次世界大戦の戦功により9個の従軍星章を受章した。 |
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ドイツポケット戦艦「アドミラルシェアー」 (重巡洋艦)
アドミラル・シェーア (der Admiral Scheer) はドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦の2番艦で、竣工時は装甲艦 (Panzerschiff)
であったが後に重巡洋艦 (Schwerer Kreuzer) へ類別変更された。
艦名は第一次世界大戦のドイツ大洋艦隊司令長官ラインハルト・シェアにちなむ。アドミラル・シェアやアドミラル・シェアーとも表記する。
第二次世界大戦中にはテオドール・クランケ艦長の指揮下で通商破壊戦に従事し、最大の戦果をあげた水上艦艇であった。 |
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ドイツ戦艦「シャルンホルスト」
第一次世界大戦後にドイツ海軍が建造した巡洋戦艦。
シャルンホルスト級巡洋戦艦の1番艦(ネームシップ)。
艦名はナポレオン占領支配からドイツが独立戦争を起こした際に活躍したプロイセン陸軍の将軍、ゲルハルト・フォン・シャルンホルストに由来する。
ドイツ海軍は戦艦に分類し、イギリス海軍は巡洋戦艦に分類した。
1930年6月30日にヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工後、一時建造中止。1935年6月15日に建造再開、1936年10月3日に進水、1939年1月7日に竣工したが、公試時に艦首が波をかぶるという不具合が出た。
再びドック入りした本艦は、海面に対し垂直だった艦首形状を前方に突き出した形に改修した。しかし今度は錨鎖口の位置が悪く、艦首波がそこから甲板に吹き上げたので、波をかぶるという点はさしたる改善がなかった。それでいて砲塔の防水などは工夫されなかったため、前部砲塔は浸水でしばしば故障した。三度目の改修でようやく波かぶりはなくなったものの、砲塔の不具合はその後も続いた。
1943年3月〜7月まで、ノルウェーで戦闘訓練を実施。
9月、「シチリア (Sizilien) 」作戦でスピッツベルゲン島を艦砲攻撃。
同年12月25日、敵輸送船団JW55B攻撃の為出撃し、翌26日、英艦隊と交戦中、英国戦艦デューク・オブ・ヨークの砲撃を受けて損傷、更に他の英国艦から雷撃を受け、沈没した(北岬沖海戦)。
生存者は僅か36名であった。 |
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イギリス「E級駆逐艦」
E級駆逐艦 (E class Destroyer) はイギリス海軍駆逐艦の艦級。全艦が1934年に進水した。
Eで始まる艦名からきている。
エクスマス (HMS Exmouth, H02)/エコー (HMS Echo, H23)/エクリプス (HMS Eclipse, H08)/エレクトラ (HMS Electra, H27)/エンカウンター (HMS Encounter, H10)/エスカペード (HMS Escapade, H17)/エスコート (HMS Escort, H66)/エスク (HMS Esk, H15)/エクスプレス (HMS Express, H61)
因みに模型写真の艦名は「H66」なので「エスコート」である。 |
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アメリカ駆逐艦「DD797CUSHING」
カッシングは1943年5月3日にニューヨーク州スタテンアイランドのベスレヘム・スチール社で起工した。
1943年9月30日にキャサリン・A・カッシング(カッシング中佐の娘)によって命名、進水し、1944年1月17日に艦長L・F・ヴォーク中佐の指揮下就役する。
大戦終了後、朝鮮戦争に従事し、カッシングは1961年7月20日にブラジル海軍に貸与された。
ブラジル海軍ではパラナ (Parana, D29) の艦名で就役、活動した。
パラナは1982年2月に除籍され、スクラップとして廃棄された。
カッシングは第二次世界大戦の戦功で6個の、朝鮮戦争の戦功で2個の従軍星章を受章した。 |
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ドイツ「Z級駆逐艦」
ナチス体制下の1934年計画から建造されたドイツ駆逐艦。
Z-Klasseの[Z]とは Zerstoerer;(駆逐艦)の頭文字。
基準排水量2,223tと当時の嚮導駆逐艦に相当する大きさでした。なかには主砲を15cm砲に換装して巡洋艦に匹敵する攻撃力を備えたタイプも存在しました。
英国駆逐艦との海戦はほとんど行われることなく、ヴェーゼル演習作戦をはじめ、常に自艦よりも強力な艦艇や航空機との戦闘を強いられ各個撃破されていきました。
同型艦40隻あり。
模型は1箱に2隻セットとなっており、1隻は「グレーバイオレット」もう1隻は「グレーグリーン」で船体を塗装しています。
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