Gontaの模型趣味 | 1/76スケール AFVモデル |
イギリス Matador & 5.5 Gun |
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ドイツ 重戦車 キングタイガー |
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ドイツ ヤークトタイガー |
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ドイツ V号戦車 III号戦車(Panzerkampfwagen III)は、第二次世界大戦のドイツ軍の中戦車である。 大戦中盤(1941 - 1942年頃)までドイツ戦車隊の主力であった。制式番号は Sd.Kfz.141、Sd.Kfz.141/1、Sd.Kfz.141/2 ドイツ軍がI号戦車を造ったのち、きたるべき戦車戦術を考慮した主力戦車とすべく製造した中戦車である。支援戦車であるIV号戦車とともに運用する構想であった。
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ドイツ エレファント重駆逐戦車
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ドイツ駆逐戦車 ヤークトパンサー あらゆる連合軍戦車をその射程外から撃破できる長砲身71口径の8.8cm砲を搭載。ベースとなったパンサー戦車譲りの機動力と傾斜装甲による優れた防御力を兼ね備え、第二次大戦で最良の駆逐戦車と称されたのがヤークトパンサーです。低いシルエットを活かした待ち伏せ攻撃で猛威をふるい、1944年6月のノルマンディー戦から大戦終結まで戦い抜いたのです。 |
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ドイツ V号戦車パンター |
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日本 90式戦車 90式戦車は陸上自衛隊が74式戦車の後継として配備を進めている第三世代型主力戦車である。被弾径始を考慮し丸みを帯びた砲塔の74式戦車に対し、複合装甲を取り入れ弁当箱のように角張った砲塔が90式戦車の特徴だ。 これは近年広く普及するようになったAPFSDS弾 (Armour Piercing Fin-Stabilised Discarding Sabot:装弾筒付翼安定徹甲弾) には多少装甲を傾けたところでは貫通され大した効果を上げられないからである。この複合装甲の材質は防衛機密のため詳細は分からないが、チタン合金と超硬特殊セラミックで構成されていると推測されている。その防御力は相当強固なもので、射撃実験では90式戦車自らが搭載する120mm滑腔砲で至近距離から発射されたAPFSDS弾の直撃にも耐えたという。 |
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日本 74式戦車 74式戦車は61式戦車に代わる、陸上自衛隊の第2世代型国産主力戦車である。 車体は全溶接、砲塔は鋳造と61式戦車を踏襲しているが、形状はより低く滑らかな避弾径始となり、遙かに洗練された。 主砲は当時西側標準砲と言えた英国ビッカース車製105mmライフル砲「L7」のライセンス生産品(駐退復座器と装填機構は国産品に換装されている)を搭載、さらに主砲にスタビライザーが搭載され行進間射撃も可能となった。副武装は対地/対空用12.7mm機関銃を車長キューポラと装填主キューポラの間に、対歩兵用に74式車載7.62mm機関銃を主砲同軸にそれぞれ装備、さらに自衛用に発煙弾を砲塔の左右に搭載もしている。 射撃統制装置としてアナログ式弾道計算機が搭載され、車長用キューポラにルビーレーザーレンジファインダーを組み込んだJ3ペリスコープ、砲手用にJ1テレスコープを主砲同軸、J2ペリスコープをキューポラ前面に装備する。主砲発射時は通常車長が標的を選定、照準しその目標データを弾道計算機に入力、射撃する。 なお、砲手、車長共に砲の制御は可能であるが車長の制御が優先されるオーバーライド機能が搭載されている。 操縦手用キューポラには暗視装置が搭載され、さらに砲塔横に赤外線照射装置を搭載、夜戦能力も獲得した。 なぜかゴールド塗装にしたかった。 模型棚の中で唯一輝いていて、目をひきます。 |
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アメリカ Jeepウィリス & ハーレー軍用二輪車 500円玉より小さいバイク。 風防は透明セルロイドを加工して接着。 曲面にするのが一苦労・・・・・。 |
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ドイツ 38式軽駆逐戦車ヘッツァー |
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ドイツ Sd.Kfz. 250/10 3.7cm対戦車砲搭載型 Sd.Kfz.250/10は、Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車に45口径3.7cm対戦車砲PaK35/36を搭載したもので、偵察部隊の小隊長用車両として作られた火力支援型である。 3.7cm対戦車砲PaK35/36は、牽引砲型から脚部を取り外した状態のもので、戦闘室の前方上部に取り付けられた。 砲前のガードも、直線状のものを組み合わせたものになっていた。 防盾は、初期においては牽引砲型と同じものが装備されたり、あるいは無かったりしていたが、後に、背の低い二重構造のものが標準装備されるようになった。 |
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ドイツ Sd.Kfz222 1930年代の末期に開発されたドイツの偵察用の4輪駆動の装甲偵察車。 対空用の20mm機関砲を地上用に改造したものを装備していた。 ポーランド戦、フランスへの侵攻、バルバロッサ作戦など戦争の初期の段階で多数使用された。 オフロードでの装甲性能に限界があったため、偵察車両としては、ハーフトラックタイプのSdkfz250や小型の戦車が使用されるようになった。 SdKfz222の派生型として、大型のアンテナをつけたSdKfz223などもある |
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ドイツ III号突撃砲 第二次大戦初頭、敵防衛戦を突破できる強力な火力と装甲、機動力を備えた歩兵直協支援用の車輌として開発されたIII号突撃砲は、III号戦車のシャーシに前面50mm、側面30mmの装甲を持つ固定式戦闘室を設け、初期のIV号戦車と同じ短砲身24口径7.55cm砲を搭載。 初の本格量産型となったB型は、1940年6月から翌年5月までに250輌が生産され、1941年4月のバルカン侵攻作戦や同年6月に始まるバルバロッサ作戦に投入されました。 突撃砲大隊の主力車輌となったIII号突撃砲B型は、本来の歩兵支援任務はもちろん、強敵として現れたソ連軍T34やKV-1戦車に対しても、貫通力の高い成形炸薬弾で対抗し、ドイツ軍前線部隊の窮地を度々救ったのです |
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ドイツT号戦車 1号戦車は名前のように第一次大戦後のドイツで初めて作られた戦車。 ここ機甲課では「戦車」に分類しているけども、実質的には軽戦車、かいつまんでいえば豆戦車と言える。 1926年にソビエトとラパロ条約を結び、極秘裏に戦車技術交換を行っていた。訓練などもソビエトにドイツ軍人を派遣してソビエト国内で行わせていた。 さすがにそのままではマズいので一旦軍籍を外してからソビエトに向かい、帰国の際に軍籍に戻していた。こうした蓄積が1933年のナチス党の政権取得および同年のベルサイユ条約破棄による軍拡をスムーズに行わせた一因だといえる この1号戦車はLas(農業用トラクター)という名称で密かに開発され、完成は1934年で、翌年には新しい型が誕生している。 前期型がA型、この新しい型がB型と名前がつけられた。 1号戦車の開発目的は訓練用だった。実際、それまでは自動車にハリボテ戦車キャンバスを貼りつけたやつで訓練していたから、その意味では大いにドイツ国防軍に力を与えたと言ってもいいだろう。 実際MG13型7.92mm機関銃2丁では実戦での威力はたかがしれているし、戦車に遭遇するとどうしようもなかった。しかし主力戦車の3号戦車や4号戦車の生産が遅れていたため、1939年のポーランド侵攻戦には実戦に使用されている。 それ以降は戦闘消耗や第一線から退いていって、前線での1号戦車の数は少なくなっていったものの、1941年6月のソビエト侵攻作戦(バルバロッサ作戦)時にも74両が第一線配備されていた。 ただ、やはり7.92mm機関銃2丁の武装や貧弱な装甲では数も質も優れていたソビエト戦車に対抗するのは無理で、同年中には第一線を退いていったようである。 |
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アメリカ M4A1(初期型)シャーマン 鋳造車体前期型 M4A1はT6の流れを汲む鋳造車体を持つタイプで、M4と同じ航空機用星型エンジンを採用していました。 M4A1は1942年2月からシャーマンシリーズの中でも最初に量産が開始され、北アフリカのイギリス軍に直ちに供与されたのです。 これに引き続きアメリカ軍も1942年11月に北アフリカに上陸、M4A1はその主力として戦線に投入されました。 極初期のM4A1は車体前方にM1919A4機銃2丁を固定装備し、ドライバーズセクションの前方に直視式バイザーを装備していましたが、程なくしてこれを廃止し、サスペンションもバネを強化した新型に改められました。 この後も、主砲防盾は幅広のM34A1型に改められ車体には増加装甲が追加されるなど改良が加えられ大戦終結まで使用されたのです。 M44A1の75mm砲型は76mm砲型が生産される直前の1943年8月まで量産が続けられ、合計6281輌が生産されました。 |
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ドイツ 38(t)戦車 Panzerkampfwagen 38(t) チェコ、CKD社が、チェコスロバキア陸軍向けに1937年に試作し、 翌年制式採用された軽戦車が、LT vz.38である。 これはそれまでのLT vz.35(ドイツ軍名称Pz.Kpfw.35(t))に代り チェコスロバキア陸軍の主力戦車として活躍する予定だったが、 量産・部隊配備が始まる前に、チェコはドイツに併合されてしまい、 以後、この戦車はドイツ陸軍向けに、MBB社(CKD社が改名)により、 Pz.Kpfw.38(t)(カッコ内のtはチェコ製であることを示す)として量産 され、初期電撃戦の主役として活躍した。 |
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アメリカ M7自走砲 愛称はプリースト(Priest) |
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アメリカ M24チャフィー軽戦車 第2次世界大戦において、アメリカ陸軍が開発し、実戦に投入した最後の軽戦車として知られるのが、このM24軽戦車である。 75mm戦車砲の装備と強力な装甲が特徴である。 生産開始前には発注数は5,000両に増加し、生産は、カディラク社に加えてマシ・ハラス社も参加して、1945年1月までに4,070両が完成した。 なお、生産中の1944年6月に、本車はM24軽戦車として制式化が行われている。 M24軽戦車は、供与された多くの国々で1970年代まで使用され、一部の国では1980年代まで現役に留まっていた。 日本の陸上自衛隊にも、1952年に375両のM24軽戦車が供与されており、M4中戦車より小柄で、日本人の乗員には比較的親しみ易く、操縦性や機動性も良好であったことから、1970年代末まで現役に留まっていた。 |
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ソビエト JS−2 重戦車 赤軍はT-34中戦車やKV-1重戦車を大量生産しドイツ軍に対抗したが、ドイツ軍がティーガーIやパンター等を投入するようになると、それらの戦車を凌ぐ重戦車が求められるようになった。そこで、85mm砲を搭載するIS-1(旧名称・IS-85)が開発されたが、T-34の新型砲塔にも85mm砲が搭載されたため、新たに122mm加農砲を改造し搭載するように設計されたのがIS-2(旧名称・IS-122)である。 |
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ソビエト KV−1 TypeB 大型の溶接構造単砲塔には76.2mm戦車砲を搭載し装甲もかなり厚いものが採用されており、サスペンションこそトーションバー式に改められたものの、それ以外については旧態依然とした車体構造を持つ車体であった。 しかしエンジンや各種部品についてT−34戦車と共通化するなど大量生産向けの工夫がなされていた。対フィンランド戦(冬戦争)から実戦投入され、大戦中期ごろまで第一線で使用されている。 強力な装甲防御力を持った当車にはドイツ軍の短砲身砲を搭載した中戦車や小口径対戦車砲では歯が立たずほぼ無敵を誇ったが(88mm高射砲や大口径野砲を使ってようやく対抗できた)、ドイツ軍が長砲身戦車砲を搭載した中戦車や強力な重戦車を投入するようになると一方的な攻勢は望めなくなってしまった。 |
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